今年の山城巡りのテーマは上杉vs北条、その第一弾は藤岡の子王山城だ。
関東管領上杉憲政の居城・平井城の詰城の金山城に登った折に、本郭跡に支城群を示す標識があった。
子王山城は長尾喜平次景勝が陣取ったと紹介されていて何故か記憶に残っている。
北条によって奪われた平井城を奪還すべく上杉謙信が攻め寄せた折のことだという。
だから子王山城は喜平次の城ともいうとか。
しかし、地元では城址というよりは二千階段で知られているようだ。
県道176号線のドン詰まりにある見晴らし茶屋から急な階段を上ること400段で本郭のある山頂、
反対側の階段を降りること1600段でかあちゃん茶屋、これで合計2000段となる。
さては地域振興の一環として城址そっちのけで道を切り開いたのではと推測しながら登る。
景勝が陣を張ったというのも怪しいもので、高崎の山名城の水戸黄門が山賊に出会った場所とか、
根小屋城の信玄の財宝とかと同類かと思ってしまう。冗談好きなのが県民性か?な〜んて・・・
景勝の子王山城への進駐については関東古戦録に記載されているというから、その県民性は江戸の昔からか。
途中に狭い段郭や腰郭状の地形があるものの、これといった遺構も見られないままに本郭に到達してしまう。
狭い本郭の中央には天保9戌年と刻まれた石の祠が鎮座していた。
本郭から反対側に降りるとやや広い二の郭があって、こちらに番小屋程度の建物はあったかもしれないが、 印象的には城というよりは少数の見張り番を置いた砦だったように思う。 二の郭には望遠鏡も据えられて格好な展望台。平井城跡や平井金山城跡は同定できなかったが、 一郷山の天守閣がツクネンとして見えるのが御愛嬌。 北東には赤城山や冠雪した上州武尊が、北西には浅間山が白煙を上げているのが眺められた。
眼下に関東管領山内上杉氏の牙城平井城を一望し、かっての交通の要衝に立地する子王山城は、 平将門の家臣柴崎兵部景家により築かれたと言われる。標高550.8mの山頂部が本丸で、 堀切を隔て西側に二の丸が、また西・北・東方面の尾根筋には数か所の虎口受が見られ、南東の尾根には腰曲輪が配されている。 天文21年(西暦1552年)の長尾景虎による平井城奪回に際し、甥の長尾喜平次景勝が入城したとされ喜平次城ともいわれる。