斜面に樹木が無いため螺旋状の道筋や段郭・竪堀などが遠目にもはっきりとしていて
法螺貝や田螺に見えなくもない。
別名螺旋城ともいわれるのも納得。
ここに旗指物や軍勢が居並んだ姿はさぞや壮観だったことだろう。
幾たびか大軍に包囲された城だが、全滅するまで徹底抗戦というよりは、
威勢を見せつつ和議に持ち込もうとする城のように思える。
今回のツアーでは唯一山城の趣がある城で、山頂の本郭までひと汗かいた。
室町時代皆川氏を名乗った長沼秀宗が築いたこの城は、山の形をそのまま利用したもので、
その形から「ほら貝城」とも呼ばれている。城山を登るとその中腹に井戸の跡や土塁武者走りが残っていて、
当時をしのばせる。
この皆川地区公民館(旧中学校跡地)は皆川城の桝形に建てられたものであり、
現在の公民館の西側に土塁西から南にかけて壕が残っている。
この東方に存在する持明院は、皆川城の鬼門除けとしたものらしい。
白山台に流鏑馬やく競馬で名高い東宮神社に台地も皆川城の一部をなしたものであり、
神社は城の守護神として祀られたものであった。また西方の金剛寺には、皆川城歴代の墓がある。