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上州・高王山城跡

ホタルカズラ

沼田の戸神山に登った折に、尾根続きに高王山城跡があることを知った。 ちょいと足を延ばせば行けそうな距離だったが、その時は次の機会ということで断念した。
しかし、下山してから調べてみると、沼田景義が沼田城奪還のために兵を集めた城だと知った。 景義は池波正太郎の小説「まぼろしの城」の主役級の登場人物だ。
父の顕泰が景義を溺愛するあまりに嫡子朝憲を殺害して景義に後を継がせようとしたが敗れて芦名氏を頼って会津に逃れた。 上杉謙信が死んで越後に内乱が起きると沼田城は武田方の真田昌幸が支配するところとなる。 その後上州に帰還した沼田景義は太田金山城主の由良景繁の援助を受け旧領への復帰を企てて高王山城に本陣を構えた。 しかし、真田昌幸に謀られて討たれてしまう。沼田城には昌幸が景義の首実検をしたと伝えられる石があるという。




高王山城

今回は玉原高原が主目的なので戸神山と高王山とをつなぐ鞍部まで車を乗り入れての安直な急ぎ働きの攻城。 駐車場からおよそ20分で地元テレビ局の中継塔が建つ本郭。 周囲に巡らされていたという高土居は施設建設のために消失していたが、 説明看板の縄張り図にある段郭は明瞭に残存していて喜ばせてくれた。
路傍に咲く鮮やかな瑠璃色のホタルカズラが印象的な山城だった。



2010年5月22日



高王(たかお)山城(現地説明看板)

高王山城

戦国時代に発知(ほっち)氏が造営したといわれる。
標高765.9m、高王山の山頂にあり、南1000mの戸神山の尖峰に続く。
本丸を南端として梯郭式の山城で、東面を除く三方面に数段の腰曲輪が発達し、特に西面で五段を数えられる。
本丸は径40m、かっては、南面以外は高土居がめぐり、北側に武者屯、二の丸、東南尾根には五段の小郭が階段状にならび、 城の広さは南北250m、東西150mに及んでいた。
天正9年(1581)には、沼田景義がここに本陣を構え、沼田城の奪還をはかったと伝えられている。


沼田市

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