世良田東照宮を訪れた際に回り残した新田荘の史跡群巡りを楽しんできました。
世良田館跡Bbr>長楽寺と世良田東照宮の裏手にある世良田義政の居館跡。
初めは新田一族として南朝方として働き、後に北朝方に転じたが
鎌倉公方に疑われて自刃に追いやられてしまう。
室町時代は新田一族にとって苦難の時代だった。
新田館跡
源義家の孫であり新田氏の始祖となった新田義重の館跡とされている総持寺。
義重は頼朝の平家打倒の挙兵に際しては一時日和見の態度を示したために、
鎌倉幕府における同族の足利氏との処遇の差が後代まで尾を引き、新田氏の衰退を招いた。
足利尊氏と新田義貞の対立の遠因となったのかもしれない。
源義平の墓がある清泉寺
平治の乱に敗れて斬首された夫・源義平の首を新田義重の娘・祥寿姫が密かに持ち帰って埋葬したという清泉寺。
狭い庭の一隅に義平のものと伝えられる自然石の墓がある。
頼朝の兄の妻だった祥寿姫への懸想を義重が妨げたことが新田氏冷遇の一因だったとも。
生品神社・新田義貞挙兵の地
新田義貞が北条得宗家の圧迫に抗して挙兵した地と伝えられ国指定の史跡となっている。
その時に集まったのは僅か150騎、進撃の間に兵を集め10数日で鎌倉を落とした。
江田館の環濠
新田義貞に従って北条氏追討の軍に加わった江田行義の館跡。周囲の環濠や土塁などの遺構が素晴らしい。
江田行義は鎌倉攻めの際、極楽寺の切り通しからの寄せ手の大将として活躍、その後義貞とともに各地に転戦している。
江田館・義貞様の祠
中央の土塁にある石の祠に奉紙に包まれた餅が供えられていた。
この祠は足利氏の目を忍んで丹波で帰農していた行義の子孫が
江田に戻ってから義貞、行義を合祀した氏神様ということで、
太田金山城跡にある新田神社はこれを祀ったものという。
反町館・義貞の居館跡
義貞の居館だったという反町館跡。周囲を水堀で囲み土塁で固めている。
ここから出陣し各地を転戦した義貞は再びこの館に戻ることはなかった。
本丸跡に建てられた反町薬師は成人の日ということで和服で着飾った参詣客で賑わっていた。