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小平漁協の通勤娯楽

2000.6.27

  前回は渓流釣りから海釣りに転向した著者のエッセイ「神戸釣り倶楽部」を紹介しましたが、 今回は同じ著者による渓流釣りエッセイをご紹介。

スペインの鱒釣り」  木村榮一

  平凡社 1800円 1996.10.9

スペイン文学者である著者が交換教授として半年ほどスペインに滞在していた折の釣り歩きエッセイ。
 フライ、テンカラ、ルアーの3本の釣り竿を突っ込んだリュックを担いで、 スペインの天然の 鱒・トウルチャ・コムンを求めて、ピレネー山脈から流れ出る河川を、 中世の面影を残す町や村を巡りながら釣り歩く。しかし、どこの河川も汚染や天候不順で釣れるのはどこでもニゴイばか り。
  スペインへ行ったら「ヘミングウエイが竿を出した川へ行って、 大物をかけてくる」と友人達 に「広言」して日本を発ってきたばかりに、あちらの川、 こちらの川と転戦、苦節2ヶ月半、やっと釣り上げたトウルチャ・コムン、16センチ。因みにテンカラ釣りだった。
 必ずしもヘミングウエイゆかりの川ではなかったようだが、開高健よろしく 「魚釣りはとにか最初の一匹がすべて」と、これで安心して日本に帰れるとホッとする筆者。
その後フライフィッシングで20センチを追加。 3種類、いや餌釣りも試みているから4種類の釣法を駆使して トウルチャを釣り上げているのだからヘミングウエイの釣った鱒への執着もさることながら海釣り師の面目躍如 といったところか。
  そして筆者が釣りを始めるきっかけとなった開高健とヘミングウエイとの共通性を戦争体験にあるとしつつ、二人ともが釣りにのめり込んでいったことを次のように考察する。

「彼らにとって釣りはお気楽なお遊び、余技、趣味といったものではなかった。 心の中にうっちゃりようのない虚無感と死者を抱え込んだ彼らは、その虚無の闇を振り払い、 切り裂こうとして釣り竿を振ったのではなかったか。ヘミングウエイがフライを飛ばし、開高健がルアーを投げるのは、 ひたひたと押し寄せてくる虚無の闇を斬り裂くためだったのだろう。釣り人というのは、 程度の差こそあれ心に何らかの傷を負った人たちであり。その傷を癒すためにあちこち放浪する旅人なのだ。」

 どうやらアームチェアフィッシャーマンとしての筆者の釣法へのこだわりの無さは、海釣り、 渓流釣りの違いを些細なこととして超越した大先達・開高健とヘミングウエイとに倣っているからのようだ。

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