先日久しぶりにパ通時代のフィッシングネットワークの仲間との
OLDに参加してきました。
集まったのはほとんどが海の大物狙いのセンヅリ師たち。10キロだ20キロだ、
いや80セ
ンチだメーターオーバーだのと、海釣りから渓流釣りに転向して久しい私はすっかり毒気に当てられてしまい、
たまには海釣りもいいかな?な〜んて思ったりしてしまいました。
小アジ狙いの食欲の海釣りから始まって、投げ釣り、船釣り、黒鯛釣り、磯釣り、そして渓流の岩魚、
ヤマメ、さらには鮎の友釣りへと移ろい、そろそろ究極の釣り?フライにも手を染めようとしている浮気な私。
この本の著者は逆にフライフィッシングから船釣りに転向した希有 ? な釣り師。
「神戸釣り倶楽部」 木村 榮一 平凡社 1400円 1999.8.25
著者が釣りを渓流から、それもフライフィッシングからはじめたのは、かの開高健の「私の釣魚大全」
や「フィッシュ・オン」を読んだことからだという。
「そもそも芸術とは反自然行為ではなかったか。釣りを芸術と感じたいのなら自然
主義を断固としてしりそけなければならない。」
(開高健「フィッシュ・オン」)
で、開高健はルアーなのだが何故か著者はフライをやることになる。
そしてお決まりの毛鉤
作りにもはまり、あちこちの川・渓を巡り歩くことになる。
しかし、いつの頃からか、釣り人の多さや、無惨な河川工事、ゴミの多さが気になりだして、
ただでさえ厳しい条件下で生きている渓流魚に憐憫の情を感じるようになる。
「渓流魚というのはもともと個体数が少ないんだから、自分が竿を畳めばそれで一匹
でも多く魚が生き残るはずだと考えるようになり、以後、ほとんど渓に足を向けることはなくなった。」
そしてアームチェアフィッシャーマンとして
「思索と瞑想の日々」を送ることになるのだが、
ある日友人二人に背広姿のまま垂水の一文字波止に拉致されてメジナを釣り上げてから、
波止釣りに、やがて船釣りに夢中になっていくことになる。
これは著者の恩師のH先生を中心とした個性豊かな」
「神戸釣り倶楽部」の面々による悲喜こもごもの釣行記。
釣れた釣れないの技術論やグルメに傾斜しがちな海釣りエッセイが多い中
で、
釣りの楽しさは人の交友のなかにこそあるとした佳編。
著者は神戸市外国語大学教授、スペイン文学者、他に釣りの著作として
「スペインの鱒釣り」平凡社 1748円 1996.10