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小平漁協の通勤娯楽

2000.6.4

    荒川の鮎、6月3日解禁!
 ということで、早速行ってきました解禁初日の秩父の荒川。到着したのは正午近く、 河原はすでに釣り人の車で埋まり流れはほとんど釣り堀状態。釣り人の数は多いけれどなにやら気怠い雰囲気が漂 っています。 暫くは見物を決め込んで眺めていましたが一向に竿が曲がる様子もないので別の場所に 移動、しかしここでも状況は同じようで、 すっかり釣りの意欲を削がれてしまい、秩父で評判の蕎麦屋に寄って帰ってきました。


 自分の下手さ加減は棚に上げるとしても、近年のアユは釣れなくなったというのが大方の見方のようだ。 放流によって川の中にアユは多いけど仲良く群遊していて縄張りを作ろうとしないらしい。

「魚々食紀」 古来、日本人は魚をどう食べてきたか
川那部浩哉  平凡社新書 680円 2000.5.23

 アユと日本人の関わりは古く「古事記」 「日本書紀」に神功皇后が北九州の玉嶋川で飯粒を餌に釣っ たとの記述があるという。 飯粒で果たしてアユが釣れるかどうかは大いに疑問だが、アユは神代の昔から日本人にとって親しい魚だったことがうかがわれる。
 アユの友釣りが初めて文献にあらわれるのは江戸時代の「本朝食鑑」。 京都の里人が長い馬の尾に囮のアユをしっかりと結びつけておいて流れに入れ、 岸辺の草苔の間に立って近づいてきたアユを引っ掛けて釣ったという。名手なら一日に5〜60尾も釣ったという。 その後 アユの友釣りが全国の河川に導入され始めたのは漸く大正・昭和の初め頃とか。
 鮎を歌った俳句も紹介されていて、下の句はそのうちの印象的な一句。

          てのひらに 鮎の命脈 しづかなり    早々子

 堰堤やダムで遡上を絶たれ、放流によって辛うじて成立しているアユ釣り、 なにやら物悲しい風物詩ではある。
 
 他に、フナ、スズキ、ナマズ、サケ・マス類、 ハモ、フグ等々、日本人と魚との関係を古今の文献を紐解きながら、歴史や詩歌、料理法、漁法など様々な角度から紹介。 帯封のコピーに曰く。「魚の生態学研究45年の先生の食い意地と古今の書物漫遊歴から生まれた絶品の魚食文化エッセイ」

 他に、魚食文化について考察した本として入手しやすい新書判に次の本がある。

        アユと日本人    明道智弥  丸善ライブラリー 1992.9.20
       現代魚食考      成瀬宇平  丸善ライブラリー 1993.12.20
       世界の魚食文化考  三宅 眞  中公新書      1991.1.25
       サカナと日本人   山内景樹  ちくま新書    1997.8.20
 
 

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