小平漁協の通勤娯楽
2000.2.6
満員の通勤電車から空の青さを恨みながら窓外を眺めていると、瞬間的だが水に向かって竿を並べる釣り人の姿が飛び込んでくる。
JR中央線の東小金井駅を過ぎた辺りに釣り堀があって、小春日和ともなれば平日にも関わらずことのほか賑わっている。
「 魚仙行状記」 中島魚仙文芸社 1500円 1999年 10月1日
私の無知なるが故の先入観からか、あるいは釣り堀での釣り姿からの思いこみなのか、
へら釣りというのは哲学的で瞑想的かつ静的なものだと考えていた。しかしここにいるのは驚くほどに行動的で快活な釣り師たちだ。
へら鮒を求めて各地に遠征した釣り紀行。いや、「紀行文」というよりタイトル通りの「行状記」というべきか?
「人間と牛」は、帰省する釣り仲間の車に便乗して、かっては秘境と言われた奥只見の銀山湖を皮切りに新潟から
阿賀野川沿いに福島の僻村に至る釣り旅の記録。家族と釣り人が雑魚寝する居間と牛小屋との区別もないような
農家兼船宿に泊まり込んでの釣りをなぜか懐かしくほのぼのとした交流として心に留める。
「発気の太鼓」は仲間が仲間を誘っての賑やかな列車での北陸路の釣り行脚。
「へら鮒のことを、魔魚と決めつける人もいる。男の釣師が全てへら鮒を美女に例えれば女の釣師が美男になぞらえるところなど、
魔魚たる所以でもあろうし、今では四季を通じて北に南、東に西へと追い回すように、釣師の心をたぶらかす魚が、へら鮒なのである。」
「へら鮒がいつまでも銀輪まばゆい魅力を秘め続ける限り、へら師もいついつまでも若くありたい願望も強く、
そして貪欲なほどに深く求めるであろうし、それが回春剤ともなってきているようである。」
釣りは鮒に始まり鮒に終わるというが、へら鮒釣りばかりは一生手に染めることはないだろうと今でも思っている。
へら鮒釣りは日本版ゲームフィッシングとでもいうべきだろうが、その心持ちを未だ理解できないでいるからだ。
しかし、一生やるはずがないと思っていた鮎釣りを、フィッシングネットワークのOLMに参加して手ほどきを受けたばっかりに、
次の週には道具一式買いそろえて川の流れに立ち込んでいた私のことだから、明日のことは判らない。
幸か不幸かWEB上に「へら師」は少ないようだ(^−^;
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