渓流釣りファンの方の中にはそろそろ禁断症状があらわれて、管理釣り場なんぞに出没したり、
釣具屋の店内を訳もなくウロウロしたりする御仁もいらっしゃることでしょうね。
せめて釣り本の通勤娯楽に精出して来るべきシーズンのイメージトレーニングに努めましょう。
「 釣魚大変・怪傑篇」 破廉拳一・矢張双 朔風社 1600円 1999年 3月26日
「釣りの話をするときは両手を縛っておけ」とは開高健が紹介して有名になったロシアの格言。
著者の破廉拳一は「釣り人はなぜホラを吹くのだろう」と考察を試みる。そして、釣り人のホラの正体は「幼児性を内包したままの、
フェティシズム(偏執)の初期症状にある釣り人の、ごく軽度の妄想と錯覚」であると結論づけ、「釣り人のホラは文学的カタルシス」
であるとして、むしろ「確信犯」として開き直ることを釣り人にそそのかす。曰く「ちゃんとした文学的なホラを吹こう。
恍惚と陶酔のうちに魚の寸法をちょろまかそう。確信犯バンザイ。私たちは夢のために想像や空想に遊ぶ。」
「芭蕉も山頭花も釣りキチだった」とする「ハチャメチャ釣魚文庫」は傑作。「俳句は世界最小文字の文学」であるから、
削りに削られた句の背景に「苦行する釣り人の姿があざやかに浮かび上がってくる」とし、釣り人の「永遠の嘆き」ともいうべき
「どうしてこんなに釣れないの」を各句のうしろにつけ加えて解釈することを勧める。
山頭花では
「うしろすがたのしぐれていくか どうしてこんなに釣れないの」
「分け入っても分け入っても青い山 どうしてこんなに釣れないの」
芭蕉では
「古池や蛙とびこむ水の音 どうしてこんなに釣れないの」
「松島やああ松島や松島や どうしてこんなに釣れないの」
などなど、釣りを詩ったとしか思えないとし「芭蕉隠密説」の向こうを張って「芭蕉釣師説」を唱える始末(^−^)
他に、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をパロった短編「釣りの絲」、
三角関係の清算のために釣り場での事故に見せかけて釣友を殺害しようとした完全犯罪の目論見が一匹のヤマメによって崩れてしまった
「満月ヤマメ」など。
矢張双の作品としては、釣りキチの江戸っ子が今はなき江戸前の風物詩・
アオギスの脚立釣りを公安するまでを落語の語り口で紹介した短編「江戸前れっどでえたあ図鑑」、
「釣魚大全」の著者が多摩川にひょっこりと現れて、鮎やヤマメ、岩魚釣りに興じる「釣聖ウオルトン多摩川をゆく」などを所収。
「・漂流篇」に続く「・怪傑篇」=解決篇というところだが、釣りの何たるかをあの手この手の切り口と語り口で解き明かしてくれる
「奇書」と言っておこう。1、2ときたから3の発刊が待たれる。
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