一昨日は早朝の雨に挫かれて、前夜の内に奥秩父の山に入っているはずのキノコ狩りの仲間との合流を早々と諦めて、
ウダウダと空模様を窺う内、矢も盾も堪らず、いつの間にか愛車に飛び乗って奧多摩を目指していました。
その日は大丹波川の河畔でキャンプ、翌早朝から多摩川源流の笠取山麓に潜り込んできのこハンティングを楽しんだ後、
行き掛けの駄賃にと黒川鶏冠山(1710m)に登ってきました。
書店でこの本を手にした時は、
買おうか買うまいか随分と迷った。手書きの文字とイラストで構成された絵手紙のようなエッセイ集。
少しばかりあざとさを感じてしまったためなのかもしれない。何度かに訪れて迷ったあげくに、ようやくレジに持っていった。
読み進むうちに次第に満たされてくるものを感じました。
「川からの釣人の手紙」 柴野邦彦 講談社 2000円 1999年2月20日 「げんき?」で始まる手紙は、いつのまにか自分自身に宛てられた手紙と錯覚するほどに親しみを帯びたものに変わり、
イラストに描かれている釣り人の姿もいつしか親しい釣友たちに見えてくる。
「魚を釣る時は、風の匂いも、雨の音も、そしてささやかな太陽も、豊漁も不漁も、
朝の霧も夜の霧も全てを素直に受け入れ喜びにしたいと思っている。
そのためには頭の中と肉体のまわりをできるだけ身軽にし、自分を何も書かれていない白いページのようにする必要があるだろう。」
「釣りも長い間やっていると、生活がそれを中心に回っているような時期もあれば、
人生の他のしがらみや事件が竿を持つことを許してくれないこともある。川に居さえすれば楽しくて仕方のない時もあれば、
竿を持っても目は毛鈎など見ていず、そのずっと先の深い淵ばかりを見ていることもある。しかし、どんなことがあっても、
自分から積極的に別れる努力をしない限り、フライフィッシングは一生付いて回る。
今のところ私には分かれる努力をしなければならばい理由はない。」
「あと10年も年を取ったら一年中オレンジ&パートリッジだけで釣ろうかとも思う。
あんまり複雑な仕掛けや精神はもうわずらわしい。」
「どうしても魚を釣り上げなきゃならない義理もない。
釣れるも釣れないも釣りの楽しみとしちゃ同じように価値がある。」
日本におけるフライフィッシングのパイオニアの一人である著者の30年に及ぶ川での思索からなる珠玉の言葉が随所に光る。
「じゃあ、また。」
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