いやはや、すっかりご無沙汰してしまいました。一週間に一度、
いや10日に一度は発行をと自らに課してはいるのですが、ここにきて通勤娯楽もままならぬほど、
あれやこれやと煩わしい毎日を過ごしております。
一ヶ月遅れでの新刊紹介になってしまいました。
「 旅へ - 新・放浪記 1 - 」野田 知佑
文春文庫 600円 1999.5.10
「青年期とは、滅茶苦茶な狂乱の時期である」「何をすべきか、自分が何をしたいのかも判らず」
不安と苛立ちに身を焦がせた青年期の「尊師」。
「ヨーロッパはいいぜ。あそこは大人の国だから、
君がどんな生き方をしても、文句はいわない」とのヒッピーの言葉がきっかけとなってヨーロッパ放浪の旅に出る。
まだ外貨持ち出し制限があり、海外旅行など夢のまた夢だった昭和40年頃、著者27歳の時だ。
魚を捕って食べれば飢えることはないだろうと「釣り竿、投網、刺し網、素潜りの三点セット、二人乗りのゴムボート、
折りたたみ式アルミのオール」そして文庫本10冊を大型のキスリングに詰め込み、ギターを携えてヨーロッパ放浪の旅へ。
その漁労民族的な発想に驚嘆。
横浜から船でナホトカへ、そしてソ連、フィンランド、ノルウエー、デンマーク、
ギリシャ、フランス、イタリア、スペイン、オーストリアと、野宿やユースホステル、
あるいはその土地土地で出会った人々の家に世話になり、網で魚を捕り、
路上でギターを弾いて滞在費を稼ぎヨーロッパを放浪する。
「自分の尊厳を損なうことなく、他人の世話になること。卑屈にならずに食べ物を貰い、
一夜の宿を借りること」の「居候の美学を完璧に身につけた」のはこの時だという。
イタリアの川では持参した二人乗りのゴムボート初めて川下りをする。
後年のカヌーイスト野田の原点がここにあった。
青春時代から既に師にとって釣りは食糧調達の手段であり、川遊びの一つであったようで、
そのこだわりのなさ、解脱の境地が爽やか。所謂釣り人ではないが、敢えて釣り師の仲間に加えて「尊師」と呼びたい。
「放浪」とか「青春彷徨」とかの言葉に「うっとりし」てしまう方々にお薦め。続編の文庫本化が待たれる。
野田知佑師についてはこちらへ
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「写真集 フライフィッシングの世界」津留崎健
つり人ノベルズ 950円 1999.6.20 新書判の写真集ということで、手にした時には綴じ目に多少の違和感を感じたものの、
フライフィッシングの様々なシーンがモノクロの世界に調和して美しい。
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