ゴールデンウイークも終わってしまいました。釣り三昧の日々を過ごされた方も多いことでしょうね。
私はと言えば前半は群馬県の吾妻川支流の
温川で古くからの釣友と一泊二日のキャンプ&フィッシング、後半は女房孝行ということで日本百名山
の一つである奥秩父の
両神山に登ってきました。
ご興味のある方は私のHPのフォト日誌をご覧ください。
GWが明けてみれば巷は再び通勤地獄、
ムンムンする満員電車も楽しい週末をイメージしてジッと耐え忍ぶ日々が帰ってきました。
せめて一冊の釣り本読書で耐え凌ぎましょう。
通勤娯楽の再開です。
前回は「小田 淳」の「 日本最古の釣り専門書 『何羨録』を読む 」を紹介しましたが、
今回も引き続き同氏の釣り小説をご紹介しましょう。
連休明けのこととて未だ
「通勤娯楽」モードになっておりませんで、これまでに読んだ本の四連発、一挙大紹介ということでお許しください。
氏の釣り小説は多いのですが何故か文庫本にはなっていません。
今年の釣り本の例年にない不作を考えると著者の作品の文庫本落ちが待ち望まれるところです。
「 夢・岩魚 」 叢文社 1600円 1997.7.30
釣り小説というと「太田蘭三」「夢枕貘」「高橋治」他、数人の名が想起されるが、
釣りの時代小説ということになると「小田淳」が第一人者かもしれない。
登場する主人公は決まって無聊をかこつ武家の次男三男、いずれも武芸の達人であり、かつ釣りの名人。
剣技を磨くと同様に釣りの技を磨くことで、辛うじて武士としての緊張感と存在感を維持しようとしているかのよう。
そんな時代をベースに幻談奇話を織り混ぜて物語は展開する。
著者にとってサラリーマン社会と武家社会にはその太平さ?において共通するものがあるとの認識があるようで、
そのあたりがパターン化されてしまいて、喰い足りない思いがする。
おそらく著者は現在のように経済環境も競争も厳しくなかった時代に
サラリーマン生活をおくっていたのだろう。
「夢・岩魚」の他、「天方釣り」「浮木」「夜釣り」所収。
時代小説「天方釣り」 つり人社 950円 1997.11.20
遊びさえも「道」にしてしまう求道精神溢れる日本人のこと、釣りも例外ではないようで、
「武道」に擬して「釣道」を成立させるのは造作もないこと。
江戸時代には武道に代わる心身鍛練の手段として釣りを奨励した庄内藩のような例もある。
「人もまた、岸辺にゆらぐ草木に等しく、自然の中の一員にすぎないという考えに徹し、邪念を払い一心不乱、
天の方向を指す竿先へ精神を集中した釣りの姿勢になった時、魚たちは流れる餌を自然の餌とみなし、
大らかに食らい付く結果を得るものである。」これが「天方(てんぽ)釣り」の極意とか。
その天方釣りの達人で剣の達人でもある主人公が、藩主の命によって名竿を入手する旅に出る。
その旅の途中で出会った竿師や女釣師、数釣れさえすば良しとする浪人釣師などが絡んで物語が展開する。
色気あり立ち回りありの娯楽釣り小説風の好著。
「 鮎 」叢文社 1500円 1990.7.15
「”釣り文学”に新境地を開く異色作」との伊藤桂一氏の献辞にひかれて手にした小説。
会社勤めと釣りの趣味、日頃のフラストレーションを釣りで発散といういつものパターンかと思いきや、
大企業の子会社に勤める釣り好きなサラリーマンの日常生活を淡々と描写。
社長以下部長からヒラまで鮎釣りファンというノー天気な会社。
なんのことはないゴルフクラブを鮎竿に持ち替えただけじゃないの!民間だったらとっくに倒産!とやっかみ半分。
バブル期の作品とはいえ、異質なサラリーマン意識というか企業文化に触れた思いがする。
社長が釣りに目覚め、主人公が仕事に目覚めるラストの描写は苦笑を禁じえなかった。
作品の内容云々ということでなく、我身の置かれている環境とのあまりの落差からのことかもしれないが。
「岩魚の渓谷」 叢 文 社 1600円 1992.5.25 発行
ここ暫く、小田淳の時代モノの釣り小説を読み漁ってきて、いささか食傷気味なのは否めなかったが、
ようやくお勧めにたどり着いた。
「命の鮭」「幻の魚」「岩魚」の三作品。時代小説とはこれまたガラリと変わった設定。
肉親を失って悲愴感ただよう釣り人が、滅び行こうとしている渓魚にささやかな望みを託し
‥・命を賭してこれら渓魚の存続を図ろうとする‥・というのが概ね三作品に共通する筋建て。
「山女魚」の白昼夢的な雰囲気も面白い。
サラリーマンもの?時代小説と著者の釣り小説を読み継いできたが、
この本が一押しか?
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