安曇野風来亭 道楽日誌 操業日誌 戦国山城散歩 キノコ図鑑 小平漁協書籍部 自己紹介

小平漁協の通勤娯楽

1999.4.25

今週こそはと意気込んでいたものの生憎の雨。釣りができずとも山葵やタラの芽など山菜が採れればそれだけで満足なのですが、 そんな誘惑も吹き飛んでしまうような雨量です。「晴釣雨読」、釣り本と釣り具でも整理して凌ぐことといたしましょう。


「 日本最古の釣り専門書 『何羨録』を読む 」 小田 淳 つり人ノベルズ 950円 

 1999.4.10

江戸の享保年間(1723年)に書かれた日本最古の釣りの教本といわれる『何羨録(かせんろく)』を現代語訳にし、 「余録」として訳者がその後の釣りや釣り具の変遷について考察している。 「竿」「鈎」「釣り糸」「錘」「天秤」「浮子」「餌」「釣り方」「釣り場」それぞれについて当時の釣りや道具への考え方を詳述しているが、これらについては子細にわたるので省略させてもらいます。

 興味深いのは、江戸時代の釣りをモチーフにした小説を数多く書いている訳著者による『何羨録』がうまれた時代背景についての考察。

 「長い間続いていた戦国の世が終わり、武士階級が不要な時勢に移った。それまでは時代の花形であった武士の日頃の心身鍛練には、武道を奨励していたが、武道そのものを役立てる場がなくなった。これから先、なにをもって藩士たちの心の支えとし、身体の鍛練を指導していってよいものか。あるいは何を職業として日々の暮らしを保つようにしたらよいのか、模索している大名、藩主が多かった。」

 そんななかで、武道に代わる武士の尚武の気性を養う手段として、庄内藩では海釣りが、加賀藩では鮎の『てんから釣り』が奨励されるなどしたという。

 「各地の事情も同様で、江戸の旗本やご家人の次男三男は、暇はあるのだが金がない。暇をつぶすには、どうしたらよかろうかと悩んだ末、思い付いたのが「釣り」ということになった。はじめてみると結構楽しく面白い。」
 「そういう時代背景の中で、釣りの技術、釣り場、道具、心得の手引書が書かれ、ますます釣りの普及に拍車をかける展開へと移っていたものと考えられる。」

 そして、最初に世に出た書物が、『何羨録(かせんろく)』だという。
 さらに、『何羨録』から約140年後に著わされた、庄内釣りの原典とされる『垂釣筌』(1863年)から庄内藩の釣りを紹介している。

  「藩主自らも釣りをし、大平の世の武士たちの尚武の気質を涵養するために盛んに海釣りを奨励したと伝えられる。 釣り場へ向かうまでの体力増進と、狙った獲物が掛かるまでの忍耐力、 大物が掛かった時の魚ともやりとりを闘争心の鍛練とみなし、釣りを武道に代わるものとして、 釣道に置きかえ、釣りを奨励したと伝えられている。」

 ついに「釣道(ちょうどう)」が誕生。 そこでは釣り竿はいわば刀同然とみなされ、魚拓は戦果の証しとなった。因みに日本最古の魚拓は庄内のものであるという。

 一説に、世の中不景気になるとアウトドアが流行り、釣りがブームになると言われる。 さらに竿作りや毛鈎作り、ルアー作りにまで発展し、脱サラする人まで現われる。 これはもう江戸時代も今も変わらない世のならいのようだ。
 不景気風は太平の世の一吹きとでも観念すべきなのでしょうか?

 著者は他にも釣りを題材にした小説を発表しています。おいおいと紹介していきましょう。
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小田 淳 (おだ じゅん)1930年 神奈川県生まれ

本名: 杉並茂雄 電々公社(現NTT)在職中から釣りの趣味が高じ
釣りをモチーフにした数多くの小説を発表している。 日本文芸家協会
日本ペンクラブ、大衆文学研究会会員。


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