私の山狂いも年々高じてきて暇さえあれば山を歩き回っています。
お陰で釣りに行く暇もなく、HPも看板に偽りありの雰囲気になってきて、
そろそろ名称変更でもしようかしらんと悩んでいます。このままでは「竿を折る」日も近い?
この著者も釣りから山登りに気持ちが移ろった末に竿を折った。
「鯰に始まり鮎に終わる釣り人生」
長谷川登 近代文芸社 1500円 2000.2.20
著者が魚釣りの虜になったのは子供の頃に目の下一尺のナマズを釣り上げたことに始ま
る。まだ水質汚染とか環境破壊とか、そんな言葉さえなかった?戦前の話だ。
以来、フナ、ハゼ、コイ、セイゴ、ハエ、ヤマメ、イワナと釣り渡り、最後にたどりつ
いたのがアユ。知人の誘いに乗って初めてやった友釣りで二尾釣り上げたのが始まり。川
から上がると早々に鮎竿をはじめ道具立て一式を揃えてしまう。鮎釣りだけはやることは
ないだろうと思い込んでいた私と同じ行動パターンだ。一度やったら病みつき、友釣りの
釣趣は他の釣りとは別物で比べようもない。「面白い」としか言いようがないのだ。
こうして三重県の雲出川から始まった著者の友釣りは、根尾川、天竜川、吉田川、千曲
川、狩野川へと釣友たちとの交遊を交えながら淡々と時を重ねていく。
やがて大量生産・大量消費時代に突入、山が荒れ川はコンクリートの護岸で固められ、
水質汚濁、大気汚染等が加速し、公害問題が深刻化する。「川が汚れ、海が汚れ、魚に奇
形が出るようでは、もう釣りどころの騒ぎではないだろう。」と、筆者は残された「聖域」
を求めて山歩きをするようになる。
そんなある時釣友に誘われて岐阜の馬瀬川に釣行する。8月、友釣りの盛期、川相も良
く、垢の付き具合もまあまあで随所に好場所がある。しかし一向に追わない、鮎の習性に
異変が起きているとしか考えられない、これも環境汚染が原因かと、この釣行を最後に著
者は釣りとはプッツリ縁を切り、竿を折ることになる。1971年のことだ。
この本は良き時代の釣りへの挽歌だ。
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