6月22日は日本にブラックバスが初めて放流された記念日だとか。大正14年、
実業家の赤星鉄馬氏によってアメリカから移入された87尾のブラックバスが芦ノ湖に
放流されたのが最初。奇しくも昭和47年同月同日、再び米国から移入したバスが放流されている。
「ブラックバッス」
赤星鉄馬 イーハトーヴ出版 1835円 1996.6.22
著者とバスとの出会いは明治34年、まだ18歳の頃、
アメリカ留学中に夏季休暇でカナダのヒューロン湖畔で約2ヶ月間のキャンプをした時のこと。
人跡のない森林湖沼地帯で野鳥を撃ち魚を釣って食料として暮らした折りに、
様々な魚を釣り上げたが、そのなかでブラックバスがとりわけ釣って面白
く食べて旨い魚として著者の印象に残ったという。
他の魚はどんなに料理法を変えてみても四、五回続けて食べると飽きてしまうのに対して、
バスだけはいくら食べ続けても不思議に飽きることがないし、非常に旨い魚だということから、
日本人に適した食味だという確信を持つに至る。この記憶が後にバスを日本への移入を決心させることになった。
著者が外来魚の移入を試みることになったのは、近代化による河川の荒廃と釣り人の乱獲による魚類の激減を憂えてのこと。
そしてどのような魚類を保護すべきかを検討するために次の条件を導き出す。
・食べて美味、日本人の嗜好に十分適するもの。これが第一
・釣魚として面白く、しかも一年中釣れ、見た目も良く大型に生育するもの
・日本全国の河川湖沼に繁殖し得るもの
・市場に出して価値あるもの
・養移殖が容易で、副業的にも飼育できるもの
・比較的長期に鮮度を保てるもの
国内の淡水魚をこの条件に照らし合わせた結果、「不幸にして日本の淡水魚中には、食用、
釣魚として将来に備え保護を加えるべき満天の魚類が見当たらない。」
と結論づける。
次いで米国のブラックバスと中国の桂魚を候補として検討、当時の政治状況からバスを移入することに決めた。
ブラックバスこそ日本にとって理想的な淡水魚だと断じたのだ。
そして十数年の紆余曲折の後、当初の予定は山中湖だったが、
他の淡水系と絶縁されバスが繁殖しても他に移行できないという地理的条件から芦ノ湖に放流されたのだった。
その後3年間の禁漁期間を経た後は順調に繁殖をして「箱根名物」となった。
やがて芦ノ湖で繁殖したバスは山中湖はじめ各地に移植されることになる。
以上が初期のブラックバスの移入事情。
終戦後米軍の進駐とともに米兵の娯楽用にと
相模湖や津久井湖などにも移植され、次第に全国の湖沼に広がって行った。
その間の事情は{「ブラックバス移植史」金子陽春・若林務 つり人ノベルズ}に詳しい。
「ブラックバス害魚論」は昔からあり、著者も反論を試みている。
しかし「害魚」であるかどうかということもあるが、外来魚が日本の自然の中に野放しされていて良いの
か!?というのが私の素朴な疑問。北海道の原野にトナカイが群れ、白神山地の原生林
にパンダが潜み、阿蘇の平原をダチョウやキリンが走り回るようなもの。これはセンチ
メンタルなナショナリズムにすぎないかもしれない。しかしこれ以上の無法かつ組織的
な放流だけは止めてもらいたい。山女魚や岩魚の棲息域でコクチバスなんぞ釣れてきた
ら興醒めもいいところ。移植の動機と経過、
バス害魚論への反論等、う〜んと考え込んでしまう部分を除けば、「釣って面白く、
食べて美味しい」ブラックバス釣りの魅力と面白さを縦横に語り尽くした好著。
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