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小平漁協のフォト日誌

妻 女 山

謙信像

 史上名高い永禄4年の川中島合戦の現場を歩いてきました。まずは謙信vs信玄の一騎打ちであまりにも有名な八幡原の古戦場跡。 両軍の幟がはためくなか厳つい両雄の像がその瞬間を演じ続けてくれています。 すぐ近くには両軍の遺体を葬った首塚もあって、遠い昔の合戦を思い起こさせるに十分なロケーションです。
 まずは合戦図の看板に見入って、位置関係を頭に叩き込んでから松代の海津城を見学。 海津城は真田氏の居城だった松代城としてつい最近に復元したらしく、こぢんまりした城門ができていた。
 だが本丸内には「海津城址」の石碑。「松代城」と「海津城」とではどちらが観光的価値があるのか不明だが、 地元では「海津城」より「松代城」を選択したということか。

信玄像

 謙信&信玄ファンには物足りないところですが、真田家関連の史跡が町内に散在することからすれば当然の選択でしょうか。
松代招魂社  次に訪れたのは妻女山。謙信が陣を張ったという陣馬平は標高差にすれば約5〜60m程度の山だが、 展望台に立てば信玄が籠もった海津城はもちろん、千曲川、決戦場となった八幡原、 そして謙信と信玄がともに厚く信仰した飯縄山や戸隠が一望の下に展望できる。平成の現代、眼下に広がるのはのどかな長芋畑。

善光寺平を望む

 でも、現場に立ってみると次々と疑問が湧いてきます。
何故、謙信は自ら不利とも思える妻女山に陣を張ったのか?
妻女山から正面に海津城を見据えると、右手背後の尾根づたいに武田方の城塞があったというし、左手には千曲川が流れている。 決戦の決意十分とは言えほとんど袋のネズミ状態。
そして、高速道路のために山が削られていて原型が不明なので何とも言えないのだが1万3千人もの軍勢がこんな狭い場所に布陣が可能だったのか? そもそも、ここが妻女山なのか?などなど・・・・

 歴史の現場であれこれと夢想するのも面白いものです。 でも、これは山歩きなんてものではありませんね(^−^; 遙か彼方の北アルプスが恨めしい。


2005.4.24