自宅のベランダから槍ヶ岳が見えることを発見した。近所のアパートの屋根越しに夕空の中に大槍・小槍の姿がくっきりとシルエットを描いている。以来、今日は槍が見えるかどうかと眺めるのが日課となった。
富士山や槍ヶ岳やらを空の一隅に発見して反射的に喜ぶようになったのはいつの頃からだろう。富士山を初めて見たのは小学校のバス旅行で諏訪を訪れた時に塩嶺峠からだった。その頃は松本に住んでいて北アルプスや美ヶ原の山塊に囲まれた盆地からは一歩も出たことはなかったから、辺りを睥睨するように屹立した富士山はその高さとともに脳裏に焼きついたのだろう。
初めて見た富士山の記憶は鮮明に残っているのだが、何故か槍ヶ岳の時の記憶は無い。それでも北アルプスの山並みを眺めながら捜し求めるのは決まって槍ヶ岳なのだ。槍の穂先が僅かでも見えようものなら何故か満足してしまうのだから不思議だ。小槍まで見えればもう小躍りしてしまう。
東京にいた昨年までの冬は富士山を展望できる山歩きをテーマにして歩いていた。冬の長野ではそれは困難なのでせめて山岳展望をと思い立ち雪解けまでは槍ケ岳や北アルプスのビューポイントを捜し求めることにしました。