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佐久・大井城

戦国山城 大井城 戦国山城 王城本郭の大ケヤキ

伴野氏の前山城を訪れたからには大井氏の大井城も訪れなければならない。
永享の乱で鎌倉から逃れてきた足利持氏の遺児(後の古河公方・成氏)を匿ったことから 一時は関東の争乱に関わったり甲斐に攻め入るなど隆盛を誇った大井氏の拠点だ。
成氏が古河に追われて以来急速に影響力を失い、 さらに前山城の伴野氏とそれを支援する武田氏との抗争によって疲弊していたところに、 代替わりのタイミングを狙った村上氏の攻撃によって落城・没落してしまう。
城の遺構としては湯川の断崖と堀切だけが目につく程度で、 比高差のある山城を見慣れた目にはなんとも心もとない城だ。
主郭である「王城」の名称は持氏の遺児「永寿王」に因んだものかと思った。 王城にある樹齢不明の巨大なケヤキの木が印象的だった。

2009年5月30日


長野県史跡・大井城跡(現地説明看板)

この城跡は鎌倉・室町時代(13〜15世紀)を通じて佐久郡の東部を中心に繁栄した大井氏宗家が城館とした所である。
城跡は、東は湯川の断崖、西は南北に走る田切によって形成された台地を利用したもので、幅は100m前後、長さ700mにおよぶ長方形をしている。 城域は堀切によって三区分され、中央を王城、南を黒岩城(以上が県史跡)、 北を石並城といい、合わせて大井城または岩村田館と呼ぶ。
文明16年(1848)、大井城は村上氏の攻撃に岩村田市街とともに焼失、大井氏宗家は滅亡した。 その後、支族によって再興された後は、天文年間以後は武田氏の支配下に、 そして武田滅亡後は徳川家康に武将依田信蕃の支配下に置かれるが、やがて廃城となる。

長野県教育委員会/佐久市教育委員会

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