謙信がわずかな供回りで北条の大軍の真っただ中を突っ切って救援に駆け付けたという唐沢山城址。
そんな物語がある城址に以前から惹かれていて早く行きたいと思っていた。
途中で足利学校を見学し、
付近で時開催中のそば祭りで新蕎麦を堪能、おまけに佐野城跡に立ち寄ったので、
唐沢山に到着したのは既に3時半を過ぎていた。
城内の木々は真っ盛りの紅葉に彩られ、野面積みの石垣が斜陽に染まっていた。
まるで謙信の憤怒を浴びるかのように。
永禄2年(1559)3万5千の北条勢に包囲された佐野昌綱を救援すべく、謙信は8千の軍勢で駆け付けた。 十重二十重の包囲網を突破するのは至難の技と見えたが、 謙信は甲冑も着けず主従僅か45人で重囲の敵兵の真ん中を粛々と真一文字に押し通って城内に入った。 城主の昌綱は感激の涙を流して迎え入れたという。 北条方は毘沙門天の再来かと恐れ眺めるだけで手出しできなかったという。 気勢をそがれて撤退を始めた北条勢は追撃されて多数の戦死者を出した。
しかし、昌綱の死後、宗綱の代になると佐野氏は北条方について叛旗を翻したので、
謙信はこの城に十度も攻め寄せたという。
昌綱が感涙を流して謙信を迎えた場所は何処であったのか、想像を逞しくしながら
関東七名城とされるに相応しい堅城ぶりを丹念に見て回りたかったが
残念ながら時間切れ。
大手口の桝形の傍らにある天狗岩に登ってみた。
唐沢城廃城のきっかけとなったとされる江戸大火を眺めたという話も
さもあらんと思わせる絶好の展望台だった。