安曇野風来亭 道楽日誌 操業日誌 戦国山城散歩 キノコ図鑑 小平漁協書籍部 自己紹介

小平漁協のフォト日誌

長井坂城址

谷川岳

上杉謙信が越後から三国峠を越えて関東に出陣する際の宿城としていたとされる長井坂城。 城址の下を高速道路のトンネルが貫通している。関越自動車道を走るたびに一度は訪れたいと考えていた城址だ。
こんな縄張りの城址は初めて見た。街道を城内に取り込むようにして郭が構えられ、土塁が巡らされている。 主郭と2郭の間の深い堀切と思われたものが歩いてみると実は旧沼田街道だと知る。 北条式の築城術が駆使されている城址ということで、謙信在陣の頃の様子を想像できないのが残念。 しかし、断崖絶壁上からの谷川連山の眺めだけは往時と変わっていないだろう。


2008年4月5日


二郭土塁 二郭堀切 二郭虎口
土塁 追手口 旧沼田街道

県指定史跡・長井坂城跡(現地説明看板)

旧沼田街道の長井坂にあり、北はながい永井の沢の急崖、 西は利根川の断崖に臨む断崖城で、南北260m、東西180mほどの囲郭式の山城である。 西端の断崖上に三方を高さ2.5mの土塁によって囲まれた本郭がある。
「加沢記」によれば、永禄3年(1560)長尾景虎(上杉謙信)が関東出馬の際に長井坂に陣を張り、 降服した沼田顕泰(万鬼斎)を引見したとあることや、 城郭構造からみて永禄期以降の築城と考えられています。
天正の初めに北条氏の持城となり、近隣の地侍集団が城番を勤めました。 天正6年(1578)真田氏が沼田城を略取すると、 永井坂城が鉢形城を核とした北条方の北方最前線の要となって、 北条・真田両氏激突の攻防が繰り返されましたが、 天正18年の小田原城の落城とともに、廃城となりました。

群馬県教育委員会・渋川市教育委員会・昭和村教育委員会

NEXT >>