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小平漁協のフォト日誌

根小屋城址

歌碑
利根川の
河瀬も知らず
ただ渡り
波にあうのす
逢える君かも

「利根川をじゃんじゃん渡って、
波にさらわれそうになって、
私のところへいらしてくれたのね、あなた」
万葉巻14−3413

根小屋城址への山道に建つ万葉の歌碑の一つだ。尾根道は石碑の 路(いしぶみのみち)と名づけられ、ところどころに歌碑が建てられていて飽きることがない。 全て上野国で詠まれた恋歌とか。 師走の喧噪を逃れて万葉の歌碑巡りをしている風情の男性二人組に出会った。 歳格好と服装から考えて和歌の師弟かとカミさんと推理する。 しかし、歌碑巡りといい、山城巡りといい、師走のこの時期に酔狂と言えば酔狂。
だが門外漢の私には万葉の歌は難解に過ぎる。 水戸黄門がこの山道で山賊に襲われている親子を救ったという看板や、 尾根に武田の埋蔵金伝説があるという看板の方が、史実か否かは別にして、 この静かな自然歩道をなんとか賑わそうという観光当局の必死な?努力が窺われて面白い。
根小屋城址の寒椿 根小屋城址は尾根続きにある先週訪れた 山名城址を上回る規模と複雑さとを有していた。 短時間では観察しきれなくて残念だったが、 幾つかの郭とそれを取り囲む堀切や土塁、 そして竪堀、本丸跡には虎口が残っているのが確認できた。 縄張り図を片手にもう一度訪れてみたい城址だ。
本丸跡に薄紅色を帯びた白い寒椿が今を盛りと咲き乱れていた。

2007年12月30日


根小屋城址 <現地説明看板>

根小屋城址の築城については、上野誌・関東古戦録等に、 永禄11年(1568)或いは13年に、武田信玄が、山名、鷹の巣の間に 新城を築き、信州佐久郡望月の城主望月甚八郎、同じく伴野庄の住人伴野 助十郎を入れて守らせた と明らかに記されている。鷹の巣とは、現在の寺尾 公民館上の御嶽山から登りつめた所の、城峯神社のある茶臼山城址のことである。 永禄5年箕輪城を落とした信玄は、西上州を手中におさめて、北条氏康、 上杉謙信と対峙していた。この城は狼煙台として、新附の倉賀野、木部、 和田の諸将を監視するため、守兵は信州の信頼できる将兵を入れたものである。 なお根小屋とは平素城兵の居住する所をいう。したがってこの地名の所には、必ず山城の址があるはずである。

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