高崎に引っ越してから幾つかの上州の城跡を訪ね歩いてきた。
跡地に県庁や市役所など公共施設が建てられて一部が申し訳程度に城址公園として残されているもの。
本丸跡で畑が耕されていたり、甚だしいのは豚舎が建てられて悪臭を漂わせていたりと、驚かされることが多かった。
群馬県人には「郷土意識」というものが薄いのでは?などと、秘かに思ったりもしてしまう。
さて、この桐生檜杓山城址、二の丸、三の丸、本丸と連郭式の山城の特徴を明瞭に残しているが
他の上州の城址同様に積極的な保存策が施されているような形跡はなく、
打ち捨てられていた分だけそのまま往時の遺構が残っているというのは皮肉といえば皮肉。
桐生城は観応元年(1350年)桐生国綱によって築城されたと伝えられる。
以降、桐生氏がこの城を支配、戦国期には上杉謙信の東毛・下野出撃拠点にもなっている。
元亀4年(1573年)に内紛に乗じた金山城
の由良氏の攻撃を受けて落城、当主の親綱は佐野へと落ち、
以降由良氏が支配するところとなる。