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松本市 桐原城址

桐原城を攻めるのは二度目。 海岸寺沢で砂防堤工事が始まっていたので搦め手側からではなく大手口から攻城することにして外周を回り込んだが、 攻め口が分からず長い尾根筋を直登することになってしまった。そのおかげでこの城の竪堀の威力を堪能?することができた。
下方部は竪堀の他には防御施設らしい遺構はなく、緩斜面で竪堀と二重堀と交差する辺りで漸く虎口を扼するような小郭が出現する。 竪堀が堀底道に変わって暫く登ると石積みが見えてくる。この辺りが城の核心部だ。 粘板岩を積み上げて郭の土留めとしているのだが、その夥しい量に感嘆する。 主郭や副郭の虎口などは崩れ始めているが、往年の様子を想像することができる。 主郭背後の土塁や大堀切などに、小笠原系の城郭の特徴が明確に見て取れる。

  桐原城址

桐原城址 桐原城址

桐原城址 桐原城址

桐原城址 桐原城址

桐原城址 桐原城址

2018年12月25日

長野県史跡 小笠原城跡 桐原城 (現地解説看板)

所在地:松本市大字入山辺

 桐原城は入山辺桐原の海岸寺沢と追倉沢に挟まれた尾根の中腹にあり、 「信府統記」によれば寛正元年(1460)に築かれた桐原大内蔵真智の居城で、真実、真貞、真基の4代にわたって相伝されたという。 桐原の血は、古代には後院領の槇原牧が置かれたところで、桐原氏は荘園と化した桐原庄を治めた在地の荘官が土着したものと考えられる。
城の東側の海岸寺沢沿いには、松本平最古の木造彫刻である千手観音像(長野県宝)を伝える旧海岸寺がある。  桐原城に関しては、複数の絵図が残されている。松本市立博物館が所蔵する「桐原城古図」は、 おそらく江戸時代の山論の資料として筆写されたものであろうが、 麓に城主桐原氏の居館跡と思われる「御屋敷」と記された枡形を備えた石囲いが描かれている。
 主郭の規模は、東西約29メートル、南北約27メートルで、周囲を鉢巻き状の石積みで補強した土塁で防御し、 主郭背後は四重の堀切で固めている。正面に当たる東側の郭にも石墨が多用され、西側山麓には菩提寺と見られる蓮法寺跡があり、 ここにも郭周辺と同時期のものと推定される高さ2メートルに及ぶ石墨が残されている。
 桐原城は、天文19年(1550)7月15日、武田氏が府中に攻め込んだ際、林大城とともに自落したと伝えられる。 現在残る石積みを多用した城郭遺構は武田氏滅亡後に回収されたものと考えられる。
 桐原城跡は、長野県を代表する山城として、昭和55年に、小笠原氏城跡8林大条、林小城、埴原城)に、山家城とともに追加指定されている。

平成26年3月 松本市教育委員会

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