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風来亭のフォト日誌

潮沢 高登屋物見〜鷹うち場物見

せっぷん道祖神

潮沢川の左右の尾根筋に上ると思いの外良く整備された道が続いている。 これは善光寺裏街道ともよばれる尾根道で領域を画する国境でもある。峠や分岐点など要衝には約束したように城砦の跡があって興趣は尽きない。
潮沢左岸の尾根筋には鎌倉時代に東信から進出してきた海野氏系の会田氏の花見城跡・三峰城跡・佐々野城跡があり、 右岸の尾根筋には仁科系の青柳氏の高登屋物見・鷹うちば物見跡、同じく仁科系日岐丸山氏の高松薬師城跡・猿ヶ城跡がある。
白坂第2トンネルの駐車場に車を置いて沢沿いに登り、接吻道祖神のある池桜付近からが本格的な山道となる。

高登屋物見

鷹うちばへの道
今回は右岸の尾根筋にある青柳氏の物見跡を攻める。 安曇野ふるさとづくり応援団と潮沢ロマンの会の仲間と共に池桜から猿ヶ城跡への道普請をしながらの砦攻め。
山仕事に慣れているとはいえ、いつもながら先輩諸兄の馬力と手際の良さには敬服する。









高登屋物見

高登屋物見
高登屋物見付近の尾根は浮洲ガ森と呼ばれ、この地が海だった頃、安曇野でこの付近だけは浮いていたという伝説があるとか。
安曇野には湖水伝説もあるが、海であった頃の記憶を誰が伝えたのか。鷹うちばとともに標高920mほど。
高登屋物見から300m程東に戻ると不寝見屋敷砦があるとのことだが、別行動を取るわけにもいかないので今回は諦めた。






土橋

土橋
昨年歩いた時に砦跡ではなかろうかと目星を付けていた場所が鷹うちば物見であることが確認できた。
興味の無い人にはどうということのない窪みや土盛りに感嘆する自分はかなり変ではある。 高登屋物見を過ぎると土橋が次々と現れてきてあってワクワクしてくる。









鷹うちば物見

鷹うちば物見
鷹うちば物見は伝承では領主が鷹を捕らえに来た場所だという。
土塁を削ったような虎口を入ると正面に小高い丘があり、その右手には小規模ながら二条の堀切状の地形があり、 手前は野営をしたと思われる広場がある。
丘の上に上ると2段構えの平坦地があり、青柳城方面の見晴らしが良い。日岐丸山氏の高松薬師城跡・猿ヶ城跡を間近に眺めることができる。
戦国時代の末期、小笠原貞慶の復帰によって明暗を分けた同じ仁科系の青柳氏と日岐丸山氏、その原因が何処にあったのか興味のあるところだ。

2016年4月14日

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