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塩島城跡

白馬村の定番撮影ポイントの一つである青鬼に向かう姫川沿いの村道の路肩が何カ所か崩れ落ちていたので不安を覚えたが、 案の定姫川第二発電所の橋を渡ったところで「復旧工事の為通行止め」との立て看板。地元の車と思しき軽トラは躊躇することなく看板の脇をすり抜けて行くが、 こちらは悲しきかな余所者。棚田の向こうに横たわる後立山連峰の雄姿を脳裏に浮かべてから、泣く泣く引き返すことに。
で、気がつけば塩島の集落。すぐ背後の杉林の丘に、仁科氏の臣塩島氏が守った塩島城がひっそりと横たわっていた。 入山するのに躊躇するほど薄暗い林ではあったが、ここまで来てしまった行きがけの駄賃、まさか熊は出没すまいと心を決して攻城開始。
暗い杉林の中を歩きながら信条の違いで袂を分かった学生時代の仲間がこの集落の出身だということを思い起こした。 帰途、集落の地図看板に彼の名前を発見した。同姓同名かもしれないが、故郷に帰っていたのかと思うと何故かほっとした。 学園紛争の中で幾つもの出会いと別れがあったことを、懐かしくもほろ苦く思い出した。
城跡はといえば、比高差はないものの思いのほか広大で、この地域の重要な拠点として機能していただろうことを思った。 最後の城主は武田氏の圧力に抗しえず帰服したものの、謀反を疑われて謀殺されたという。 城跡の前面にある集落を守るかのように古めかしい石垣が築かれていて、城の遺構の一部なのかどうか気にかかった。 青鬼撮影行の再挑戦の機会があったら確認してみよう。もしかしたら彼にも会えるかもしれない。


塩島城跡 塩島城跡

塩島城跡 塩島城跡

2015年5月8日


史跡塩島城址 (現地説明看板)

 戦国時代、信州の地は上杉・武田両氏の激突する舞台となったが、安曇地方も両勢力の争いの余波を受けて戦乱が絶えなかった。
 塩島城は、姫川を挟んで三方が断崖をなす要害の地を占め、 戦略的には海陸物資交易の路線である千国街道を押さえ四ヶ庄平を俯瞰する絶好の位置に置かれている。 戦国期の典型的な山城として、空濠、曲輪、馬場跡などに往時の遺構を偲ぶことができる。
 弘治元(1555)年信玄配下の武将小県昌景によって攻められ飯森城などと共に落城した。最後の城主を塩島但馬守祐輝といった。

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