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安曇野市・高松薬師城跡(横谷城)

山中の一軒家
主郭付近から常念岳方面を望む

    安曇野では潮沢と言えば山の中、山の中といえば潮沢と言われるぐらい山奥の地域として知られている。 潮沢の奥には平家の隠れ里といわれる集落もあり、八面大王の鬼女伝説も残っている。 また、こうした山の中に小規模な集落が散在するのは戦国時代の名残りであり、 歴史と伝説に彩られた潮沢に戦国惚けの私ならずとも魅力を感じている人は多い。
    戦国時代のこの地域、潮沢川を挟んで南側は東信から進出してきた海野氏系の会田氏、北側は大町の仁科系の日岐丸山氏の支配圏で、互いに左右の峰々に山城や監視所を設けて対峙していた。また、当時の街道は尾根筋に付けられていたため、これらの山城は街道筋を監視する役割も担っていた。
    会田氏側は佐々野城・三峰城・花見城、日岐丸山氏は横谷城や猿ヶ城などに武士を配置して対峙していた。 しかし、両陣営の間で戦闘のようなことはなかったようだ。どちらも潮神明宮の氏子だからということで、現場同士は良好な関係を保ち続けていたようだ。
    ここに配置された武士は平時は農作業等に従事していたから、この地域の開拓は山の上から始められた。潮沢の山深くに小集落が点在するのはそのためだとされる。
    山城の主郭に立って山々を眺めながら、深山の中にポツンと一軒家や小さな集落を発見したとき、どの系統の武士の末裔かなどと想像してみるのも楽しい。


山神社 蛇岩
岩洲への入口にある山神社、有事の際はまずここに集まったのであろう。蛇岩は城域の虎口に当たる防御施設と思われる。

主郭の切岸 主郭の虎口
厩窪から主郭の切岸を左に見上げながら回り込むと高松薬師からの道と合流、そこが主郭の虎口。

猿ヶ城跡 烏帽子岩
人手が加わっていない自然地形のままの猿ヶ城跡 、その南端にある猿飛岩には落城時の伝説が残る。

高松薬師城跡(横谷城)<現地説明看板>
    丸山氏の山城、標高約870m、元禄11年(1698)書上帳にのる。岩州の頂上に8×7mの本城があり、南に小空堀と自然地形のくるわ27×4mがある。北の下段には馬を置いたという「馬やくぼ」がある。東には自然地形のくるわ20×10mがある。西に空堀跡が二条あり、その間にくるわ30×6mがある。更に尾根続き800m西に古峰社跡見張所があり、万平や日岐城と連絡をとる。水の手は城裏の杉林にあった。東の潮沢側にかくれ山、明賀山、古屋敷の地名が残る。
平成7年1月 生坂村教育委員会
猿ヶ城跡<現地説明看板>
    弘治3年(1557)丸山氏のとりで、標高約870m、安永9年(1780)の池沢山山論絵図にのる。
猿ヶ城というのは最後にたてこもる奥のとりでの意味である。三方が断崖で、18×7mの自然の平地があるのみで人工は加えてない。 南の尾根続きの岩を猿飛岩という。落城の際にお姫様は猿飛岩から飛び下りて自殺したという。番兵は潮沢側下の大名屋敷に住んでいたという。登り口にこや坂、またぎ沢の地名がある。
平成7年1月 明科町・生坂村教育委員会

2014年9月21日

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