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新米案内人の安曇野初ガイド

安曇野観光ガイドの講習会を修了したばかりの翌日、早速ガイドをする羽目になってしまった。 県の建築士会のイベントに付随して安曇野ツアーが企画され、自分が所属するNPOが全面的に応援することになり、 新米ホヤホヤであるにも関わらず幾つかあるコースのうちの一つのガイドとして駆り出されてしまったのだ。
ご案内するのは全員が県内の建築士の方々20名。 テーマは「安曇野の水辺散策」ということで、安曇野湧水群公園をスタートして万水川沿いを歩く約2.5キロのコース。 これを2時間で案内して欲しいと。だが、コース上にはガイドとして説明するようなポイントはほとんど無くて、文字通りの散策。
初めてのガイドとて、これでは間がもたないということで、臼井吉見の長編歴史小説「安曇野」の舞台となった 相馬家がある白金地区の1キロ程を追加してもらった。
安曇野はそれまでは安曇平と呼ばれていたが、臼井吉見の「安曇野」から安曇野の地名が定着した。 白金地区はある意味安曇野の風土の核心のような場所だとの勝手の思い入れから、 「安曇野」に登場する主人公たちが暮らしていた場所を歩くことにこだわった。
これが自分で首を絞めることに。「人物の話は引かれますよ」とは観光ガイド講習会でのアドバイス。 まさにその通りになってしまった。

白金八幡宮 白金八幡神社

まずは、地元の白金地区に敬意を表して八幡神社からスタート。
御祭神の話をするか、それとも神社の数クイズか迷ったが、御賽銭の話から。
神社はみそぎを行う場所。知らず知らずのうちに犯した罪を償うのが御賽銭。
気前が良いかどうかではなく、罪の重さに相応する金額をと・・・

すかさず「それじゃあ俺は10円でいいな!」




マンホール

御賽銭の話が少しウケたので、次は調子に乗って安曇野のマンホールの蓋の話を・・・
5町村が合併した安曇野市ではマンホールの蓋のデザインは現在も旧町村のものを使用。それぞれの個性が良くでている。
家に帰ったらデザインを確認してみてください、と・・・・ここで参加者の出身地のデザインを言えたら最高。
安曇野の範囲は、おおむね東は北アルプス、西は犀川、南は梓川、北は高瀬川に囲まれた地域と説明。 市町村名をあげるよりはイメージできるようだ。





石造文化財 石造文化財

安曇野では一般的な石造文化財の3点セット。二十三夜塔、道祖神、青面金剛像の民間信仰について説明。
小説「安曇野」の主人公の一人・相馬黒光が安曇野を嫌って東京に出ることなった伏線を張るつもりで、 群馬の道祖神まで持ち出してしまい長口舌になってしまった。
東京のハイカラな空気を吸った才媛の黒光には、民間信仰に伴いがちな卑猥さが我慢できなかったのだ。






河童石 相馬家が祀る厳島神社の河童石

相馬家には河童から家伝の接骨術を伝授されたとの言い伝えがあり、その河童を代々祀ってきた。
河童石は河童に纏わる石や岩のことで、石が朽ちるまで悪さをしないと約束した河童の手形が残された石など様々な伝説があるが、 ここでは接骨術を伝授してくれた。
その昔は河童石を祀っていたが、いつのころから厳島神社を祀るようになったという。


相馬家 「安曇野」の主人公たちが集った相馬家

ここで生まれた相馬愛蔵は、養蚕業の改善に努めて全国の養蚕家に注目されていた。 また穂高に初めてキリスト教を普及したり、禁酒運動や廃娼運動を行うなど先進的な人物だった。
しかし一般的には、新宿中村屋の創業者と言った方が通りが良い。
愛蔵や井口喜源治など、開明的な若者たちが夜な夜なこの相馬家に集まって、政治や文化・芸術について議論していた。 いわば安曇野の夜明けをリードした家だ。





常念岳

愛蔵は相馬家の跡を継ぐべく黒光と結婚。 しかし黒光は先の理由で安曇野に馴染めず2年で病気になってしまう。
愛蔵は妻の為に東京に移住してパンの中村屋を買い取る。 愛蔵と良はクリームパンを作るなどなかなかの商才を発揮して店を繁盛させ新宿に進出する。 新宿中村屋には多くの文化人や芸術家が集まって、相馬黒光を囲むサロンが出来上がる。
アメリカ帰りの荻原碌山と再会したのも新宿中村屋だった。







後立山連峰 後立山連峰

「人物の話は引かれる」と講習会で教えられたが、 案の定、聞いてくれる人と聞かない人に分かれてしまって、内心焦る。
でも、安曇野を語るには小説「安曇野」の世界を説明せねばと思っているから、ついやってしまった(^−^;
運よく北アルプスが顔を出してくれたので、気分直しに山座同定。県民だけあってこちらの方が盛りあがった。
でも、めげずに「安曇野」に話を戻す。






万水川

荻原碌山は日本の近代彫刻の扉を開いたと言われる彫刻家。 碌山が初めて黒光に出会ったのは残雪の北アルプスを写生している時だった。
碌山は黒光に触発されて芸術家への道を進み始めた。黒光が碌山を育てたと言っても過言ではない。
穂高の碌山美術館には国の重要文化財になっている「女」という彫像があり、相馬黒光がモデルだと言われている。
また「文覚」という作品は碌山の黒光に対する壮絶な思いを表現したものという。





万水川 万水川

北アルプス山中から流れ出た渓水が複合扇状地の地下水となって湧き出る万水川は、 安曇野ならではの川といっても言い過ぎではない。
全長は7.7キロ、大王わさび農場の脇を流れ、犀川に合流。 万水川の文字通り、湧水や川水も加わり、北から南から「よろず」の水を集めて流れている。
この川は、臼井吉見の『安曇野』に登場する相馬愛蔵や井口喜源治、荻原碌山たち主人公の心の故郷だった。





養魚場 養魚場

昭和15年頃までは、ワサビ畑の排水路まで日本海から鮭が遡上することもあったとか。 それが、山手線の電化のための発電施設が必要となり、鮭漁への補償として犀川に水産試験場を造り、養魚の研究を始めた。 その結果、ニジマスが最も適性だということで、ニジマスの養魚場が増えていった。 安曇野のニジマスは山手線の電化のお陰だというお話。
安曇野の地下水の40%は養魚用、現在は信州サーモンに力を入れている。





ワサビハウスと露地栽培 ワサビのハウス栽培

明治の初めから大正時代の中ごろまで、重柳から穂高にかけての一帯は、ナシの栽培地だった。 ところが湧き水によるナシの病害が多く、水はけを良くするために作った水路にワサビを植えたところ、ことのほか良く育ったので、 ワサビ栽培が始まったと言われている。
そして関東大震災の際に、それまで主要産地だった伊豆や静岡のワサビが大打撃を受け、 信州産のワサビが脚光を浴び、静岡をしのぐ大産地となる契機となった。





ワサビハウス

ワサビの生産は長野県が全国の6割を占め、その中でも安曇野の比重は大きい。
河川跡に開かれた平坦地栽培で規模が大きく、冷涼な気候と、1年を通して13度前後という湧水に恵まれているためだ。 しかし、最近は地下水位の低下により、露地栽培は窮地に立たされている。 地下水を確保するためにワサビ田をさらに掘り下げ、ポンプで汲み上げて排水したり、 ハウスで生育環境を保つ工夫をしている。
排水路を見て「まるで天井川だね」とは参加者の弁。





アレチウリとクズ 植物による日米戦争の現場

北米から日本にやってきた特定外来生物指定のアレチウリと、 逆に日本からアメリカ南部に侵攻しているのがクズ。毒性・侵略的生物に指定されている。
いずれもツルのように巻き付きながら高木をも覆い尽くして枯死させてしまう。 成長・繁殖力が強いこと、根が残ると再生することから、まわりの固有在来種が根こそぎ駆逐されてしまう。
両者の争い「どちらが勝つか?」などと呑気にしてはいられない現実がここにある。





おひさまロケ現場 ロケ現場

昔は小説など出版物によって観光地の知名度やイメージがアップしたけれど、現代では何といってもテレビ。 安曇野も昨年のNHK朝ドラの「おひさま」効果で、観光客がおよそ20%以上も増えたという。
その「おひさま」主人公の陽子が自転車で走るシーンで度々登場する、アルプスを望む土手がこの辺り。 昨年のJRのCMで、吉永小百合が自転車で走るシーンを撮影した場所はここから100mほど上流。





万水川のニセアカシア並木

ニセアカシアのトンネルが美しい万水川の道。ワサビ田に日陰を作るために植えたものが外に進出した。
現在では要注意外来生物として駆除が検討されているが、全国の養蜂業者の団体は反対。 長野産はちみつは生産量全国第3位で、約8割がニセアカシアの花を「みつ源」としているので切実。
因みに、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」、石原裕次郎の「赤いハンカチ」のアカシアは実はニセアカシアだとか。






わさび田湧水群公園 銀座の柳は安曇野の柳

湧水池の中に赤い水草のように見えるのは柳の根。柳の木がいかに水を要求するかを物語っている。
銀座の柳は実は安曇野の柳という話。関東大震災からの復興のシンボルとしてここ重柳の柳が送られた。 しかし、東京大空襲によりほとんどが焼失、その後復活するも、戦後の大改修によって銀座から柳並木が一掃されてしまう。
現在西銀座通りにあるのは二世の柳。






わさび田湧水群公園 わさび田湧水群公園

安曇野の地下水の話も必須。
日本名水百選に選ばれ、朝日新聞のアンケート調査では、柿田川や富士山麓の湧水群を抜いて人気第1位を獲得。
安曇野で一日に湧きだす地下水70万トンのうち、ここで7万トンが湧出している。
しかし、最近は減反政策の影響で地下水位が低下しており、ワサビ農家を直撃するなどの問題が起きており、 対策が急がれている。
と、まあ、こんな感じで初めての安曇野ガイドを大過なく終了。いやはや、知っていることと、伝えることは別のことであり、 ましてや楽しんでもらうのは至難の業であることを痛感。反省しつつも、自分だけは密かに楽しんだ一日だった。


2012年9月29日

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