毎度毎度の駄文に自ら赤面する思いで発行を続けてきたこの通勤娯楽も85号を数え、
読んでくださる方も478名となりました。
未紹介の本はまだまだたくさんあります。
本年もぼちぼちと参りますのでよろしくお願いします。
どんな釣りであっても、魚や自然環境にとっては大きな迷惑であることに間違いはなく、
釣り人は好むと好まざるとにかかわらず多かれ少なかれ、自然破壊、環境破壊の片棒を担いでいることにはなっている。
それでは釣りをやめればいいじゃないか、といことになるが、
どっこいそうはいかない。漁師が漁を生活の糧としているなら、釣り人は釣りを心の糧としているわけで、
釣り人から釣竿を取り上げたら、その飢餓感から何をしでかすかわかったものではない。
ここは本人のためにも、まわりの平和のためにもそっとしておいた方がいい。
ひとたび覚えてしまった快楽は、たとえ神仏とて禁じられるものじゃない。
しかし、釣りに限らず、これだけ物質文明が発達した現世だから人間ひとりが動けば動くほど、
いや存在するだけでも資源やエネルギ−を浪費して地球環境に打撃を与えている訳で、
存在自体をやめられない以上、釣りをやるんだったらゴルフは止めるとか、
総量規制をしてバランスを取るしかないのかもしれない。
このままさらに自然破壊が続けば、
釣り場は制限され釣堀や管理釣り場でしかできないことになるかもしれない。
さらには釣りは「釣道」という形でしか残されないことになってしまうだろう。
ちょうど殺しあいの技術が「武道」として生き残っているように。
しかし世の中には魚の数だけ釣りの仕方があって、なにごとも求道精神の旺盛な日本人のこととて、
仕掛けから道具立て、その所作、心持ちにいたるまで徹底的に様式美が追求されて深遠な「道」として、
様々な流派が魚の数ほど誕生してしまうことになるかもしれない。
そして釣堀や管理釣り場は入門者のための「釣道」の道場と化すことになる。
いまや海や渓流、湖などの自然の中で釣りを許されるのは「釣道」を極めた一部
の有段者のみとなり、釣りはますますストイックになり哲学化し、
「釣道」が誕生することになるのである。
21世紀、もはや釣り糸の先に釣鈎は必要ない。
こんな夢想をしつつ、今年もブックフィッシング!続けます。よろしくおつき合いのほどお願い申し上げます。